森昌子さんの早春賦です。
同じく森昌子さんで、浜辺の歌も入っています。
森昌子さんの童謡は、早春賦の歌詞、浜辺の歌の歌詞とも言葉が聞き取りやすく、再デビュー後のステージでも変わりませんね。
復帰後の森昌子さんは、コンサートに力を入れているようです。
先日カーネギーホールでコンサートを行った高橋真梨子さんもコンサートに力を入れているようで、森昌子さんも同じ方向に見えます。
歌がうまくて性格もOK、ファン層も幅が広い人、という共通項があるように思いますね。
森昌子:早春賦/浜辺の歌 1986 Masako Mori Soshunfu & Hamabe no Uta・・・youtube動画はコチラ⇒
森昌子さんは、デビューの頃から叙情歌を歌っていて、LPアルバム1974「お母さんに捧げる 詩」が最初です。
各アルバムにもリリースされており、そのきれいな歌唱力と声質は、演歌より、はるかに森昌子さんに合っているように思います。
25才以後は女性の色香と綺麗な容姿が演歌を唄うのに合っ てきましたが、これからは、叙情歌・童謡も、どんどん歌ってほしいですね。
森昌子wiki:
森昌子(もりまさこ)さんの本名は、森田昌子、1958年(昭和33年)10月13日うまれです。
栃木県宇都宮市出身のアイドル・演歌歌手・女優。
小野学園女子高等学校から、堀越高等学校に移って卒業。
前夫は森進一さん。
長男は、男性アイドルグループ・NEWSの元メンバーであり、現在ロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストである森田貴寛さん。
森昌子は、栃木県出身。本名は、森田昌子。
小学校4年生のとき東京に引っ越す
1971年(昭和46年) 12歳で日本テレビ系『スター誕生!』に出場。初代グランドチャンピオンとなる。
ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。
1972年(昭和47年)7月1日 徳間音工から「せんせい」で演歌歌手デビュー。
翌年デビューした同学年の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。
尚、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦(第24回)に初出場を果たしたのも彼女であり、15歳最年少での出場であった(1973年)。
1973年(昭和48年)、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。初々しい演技が好評を博した。
同年、『としごろ』で主演に抜擢された。
この年から開催された『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。
1975年(昭和50年)、『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。また、この年34月に開催された、春のセンバツ高校野球大会に「おかあさん」が入場行進曲に選ばれ、森もセンバツ大会の開会式にゲスト出演した。
1977年(昭和52年)、堀越高校を卒業。同期卒業生には岩崎宏美、岡田奈々、池上季実子らがいる。
1977年(昭和52年)の「なみだの桟橋」以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、「彼岸花」など難易度の高い曲を歌いこなすことのできる実力派へと成長。
1979年(昭和54年)、新宿コマ劇場で史上最年少女座長として「森昌子公演」を行う。
1981年(昭和56年)、第32回紅白歌合戦では「哀しみ本線日本海」で出場9回目、23歳にして初の紅白・紅組トリを務める。
1983年(昭和58年)、「越冬つばめ」で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。感激の余り受賞時に嬉し涙を流しながら歌い、その後の第34回紅白歌合戦でも泣きながらの歌唱となる。
このほか、TBSの金曜ドラマ『想い出づくり』などドラマにも出演、女優としても活躍した。
1984年(昭和59年)、NHK『みんなのうた』で、「海へ来て」を歌う。放送期間は、1984年(昭和59年)8月1日9月30日。(再放送は5回。)
1985年(昭和60年)、第36回紅白歌合戦で初の紅組司会及びトリを務めた。「愛傷歌」の歌唱前から感極まって号泣した為、殆ど歌えず、紅組の共演者たちが周りで歌った。これは、紅白史上に残る名シーンとして語り継がれている。
1986年(昭和61年)10月1日 演歌歌手の森進一と結婚。これに先立ち8月、引退コンサート及び引退記念曲「さようなら」を発表し歌手業を引退。
2001年(平成13年)12月31日 紅白歌合戦へ16年ぶりに出場。これを機に限定的ながら復帰(※夫婦共演形式でのコンサートツアー及びCD吹き込みのみ)。
2005年(平成17年)2月 自宅で薬物を大量に飲んで倒れ、緊急入院。わずか1日で退院。
さまざまな憶測がワイドショーや週刊誌に取り上げられることが多く、この事が後の離婚騒動に発展した。
この頃から森進一との不仲説が大きく報じられる。後にこの時、神経症であるパニック障害を発症したことが明らかになった。
2005年(平成17年)3月 森進一と別居。
2005年(平成17年)4月19日 離婚を発表(親権は長男が昌子側、次男と三男が進一側。養育権は3人とも昌子側)。
ソロ歌手としての復帰が噂された。
2006年(平成18年)3月27日 旧所属事務所のホリプロから歌手として復帰することを正式発表。
2006年4月、幻冬舎から初エッセー集『明日へ』を刊行。その後、和田アキ子・片平なぎさ・榊原郁恵らにより、「おかえり!昌子 激励の会」が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。
2006年(平成18年)5月、『NHK歌謡コンサート』でテレビに復帰。「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」「父娘草」を涙ながらに熱唱した。以降意欲的にテレビ出演などの活動を行う。
2006年(平成18年)6月7日 古巣のポニーキャニオンから20年ぶりの新曲「バラ色の未来」をリリース(初登場14位で、初登場としては過去最高の順位。
ジャケットタイトルは森大衛揮毫)。
2006年(平成18年)12月31日 の紅白歌合戦へ5年ぶりに出場、「バラ色の未来」を歌唱する。
元夫・森進一との競演が注目されたが、結局順序をずらしての出演となり、二人が同じステージに出演する場面は一度も無いままに終わった。
2007年(平成19年)4月 NHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』で女優業を本格再開。
2007年(平成19年)7月13日 22年ぶりの主演となる金曜プレステージ『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』放送。
2007年(平成19年)9月26日 体調不良を訴え、急性肺炎により急遽入院。
同日予定していた熊本のコンサートを始め、同年内のコンサートツアーの中止を発表。
2008年(平成20年)2月5日 『NHK歌謡コンサート』で「越冬つばめ」を歌い、芸能活動を再開した。
2008年(平成20年)3月31日 ホリプロを退社。
2008年(平成20年)4月1日 個人事務所「おんがく工房」を設立。
この記事へのコメント
コメントを書く